【お知らせ】東京大学先端科学技術研究センター キャンパス公開2010

さしせまってしまいましたが、
今週末の
2010年6月4日(金)、5日(土)
10~17時
東京大学先端科学技術研究センターにて
キャンパス公開が行われます。
イベント内容一覧はこちら
<最寄り駅>
小田急線「東北沢」駅(徒歩7分)
京王井の頭線「駒場東大前」駅(西口から徒歩10分)
京王井の頭線「池ノ上」駅(徒歩10分)
小田急線「代々木上原」駅(徒歩20分)
地図はこちら
熊谷が所属している研究室の催し、
および
熊谷が出演する催しは以下の3つになります。
1.【Living Library「生きている図書館」】
Understanding Diversity
リビングライブラリー(生きている図書館)では、
障害のある人や薬物依存からの回復途上者など、
誤解や偏見を受けやすい人々が
「生きている本」として貸し出されます。
「生きている本」との対話を通して、
自らの中に存在するバリアをとかしてみませんか?
※当日、ライブラリー受付(3号館1階)にて
登録・予約が必要。
参加費:無料
*予約・受付の流れ
(1) リビングライブラリー利用登録
(2) 借りたい「生きている本」の予約
(3) 予約した貸出コマ時間に指定された場所へ行く。
(4) 「生きている本」との対話(30分or45分)
受付開始時間:
   6月4日10:00から、
   6月5日は9:30からとなります。
受付時間が異なりますのでご注意ください。
「蔵書」等の詳細については下記をご覧ください。
★体験型展示あり
【Living Library】
以下、「著者特性」と「タイトル」です。
高次脳機能障害当事者
「18歳のビッグバン〜高次脳機能障害から学び得た世界〜」
多発性硬化症当事者
「うさぎ社会に生きるかめ〜難病を発症して〜」
トリチャーコリンズ症候群当事者/聴覚障害当事者
「人目に疲れるとそっと補聴器のスイッチを切る」
聴覚障害当事者
「聞こえるけど、聞こえないということ」
薬物依存症からの回復途上者
「薬漬けのたくあん〜薬物依存からの回復〜」
脳性麻痺当事者/小児科医
「リハビリの夜」
盲ろう当事者
「見えなくて聴こえなくても運命のサイコロは振れる
〜目と耳が不自由な盲ろう者と健常者はどこが違うのか?〜」
車いすユーザー
「晴働雨読〜リウマチとともに働く〜」
アスペルガー症候群当事者
「今日も黄色い服を着て」
研究者
「時間を止める/社会を変える」
研究者
「右と左がわからない工学者」
セクシャルマイノリティ
「いないようでいる人たち〜クラスに一人はいる同性愛者〜」
生臭坊主
「立ち上げメンバーが語る 坊主バーへようこそ!」
※タイトルおよび著者は変更される可能性がございます。
場所:3号館中2階ピロティ
2.【バリアフリーシンポジウム】
「学問の当事者性」
日時:6月4日(金)13:30〜17:30
内容:「当事者性」をめぐり、社会学・障害学・
    フェミニズム等の立場から
    多角的な視点で議論を試みます。
★体験型場所:3号館中2階セミナー室講演会
(*このシンポジウムには熊谷は出演しません。)
3.【バリアフリーシンポジウム】
「リハビリテーションを問い直す」
日時:6月5日(土)13:30~16:00
内容:「リハビリテーション」・「回復」をテーマに、
   自身が障害当事者であり医師でもある
   熊谷晋一郎氏による講演会を開催します。
講師: 熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター特任講師)
司会: 大河内直之(東京大学先端科学技術研究センター)
★体験型場所:3号館2階207セミナー室
 参加費等:無料
 情報保障:手話通訳・パソコン要約筆記
<お問い合わせ先>
 バリアフリー分野  大河内直之
 電子メール:okochi@bfp.rcast.u-tokyo.ac.jp
 電話:03-5452-5067
 ファクス:03-5452-5068
☆その他何か個別にご要望等がありましたらご相談下さい。
ただし、
こちらでは対応できないこともございますので、
その点は予めご了承下さい。
 
[講師紹介]
 1977年生まれ。新生児仮死の後遺症で、脳性マヒに。
 以後車いす生活となる。
 小中高と普通学校で統合教育を経験。
 大学在学中は地域での一人暮らしを経験。
 また全国障害学生支援センターのスタッフとして、
 他の障害をもった学生たちとともに、
 高等教育支援活動をする。
 東京大学医学部卒業後、千葉西病院小児科、
 埼玉医科大学小児心臓科での勤務、
 東京大学大学院医学系研究科博士課程での研究生活を経て現職。
〈概要〉
 私は出生時、
 胎児と母体をつなぐ胎盤に異常があったせいで酸欠になり、
 脳の中でも「随意的な運動」をつかさどる部分がダメージを受けた。
 そして私の身体の状態は、
「脳の損傷が原因で、
 イメージに沿った運動を繰り出すことができない状態」
 というような表現で、専門家によって説明されている。
 この通説に従えば、私の身に起こったことは
 とてもわかりやすく説明された気になる。
 しかしこのような説明は、特にリハビリや療育の現場で
 さまざまな拡大解釈を生み出す可能性を持っている。
 たとえば、
「脳には損傷があるが、それ以外の筋肉や骨には問題がない。
 これはつまり、
 乗り物には異常がないが、
 それを操縦する認知や行動といった過程に問題があるということだ。
 だから、
 注意の向け方、イメージの描き方、
 努力の仕方などに介入しなくてはならない」
 というような実践的な解釈がなされたりするのである。
 むろん、そのような解釈は、間違いとは言えない。
 けれどもその解釈を聞いた当人やその家族は、
 また違った解釈をそこに付加していくことになる。
 つまり、
「目に見える体の問題だったらあきらめるしかないが、
 努力や気の持ちようといった心の問題だというなら希望が持てる」
 などというように。
 こうして、「体の問題ではなく、心の問題」という解釈のもとで、
 目標設定は青天井に高められ、お手本どおりに動けない原因は
「家族や本人の意思や努力の問題」に帰責させられやすくなる。
 私自身、このようなリハビリを受けてきて、
 手本どおりにうまく体を操れない自分自身に苛立ちを覚え、
 劣等感を味わってきた。
 しかしその後、私の体に合ったオリジナルの運動イメージを、
 実際の暮らしの中でモノや人と交渉していくことで
 徐々に立ち上げてきた。
 随意運動を手にするためには、
 既存の運動イメージに沿うような体の動かし方を練習するしかない、
 というのは間違いだ。
 それとは逆に、運動イメージのほうを体に合うようなものに
 書きかえるというやり方もある。
 私は自分の経験を通して、規範的な運動イメージを押し付けられ、
 それを習得し切れなかった一人として、リハビリの現場のみならず、
 広く社会全体において暗黙のうちに前提とされている
 「規範的な体の動かし方」というものを、
 問いなおしていきたいと思っている。