今度の当事者研究は痛いです
いよいよ来年は
「英語が読めない当事者研究」に取り組む予定。
私にとって
もっとも痛い記憶にまつわることなので、
取り組めずにずっと避けてきた。
「学校社会」という小さな枠を相対化できた今でも、
過去の傷はありありと私を当時へ引き戻し、
恐怖と不確実性の混乱の中に陥れ、
私を大泣きさせる力を持っている。
だからいまだに
それについて説明するための言葉が増えない。
だからいつまでたっても苦しいまま。
恐る恐る関連資料を読み始めるが
ちょっと読んだだけで
体中がズキンズキンと痛い。
なんか面白いほうに転じればいいなと願う。
16歳で止まってしまっている受傷の物語の続きが、
当時は思いもつかなかったような
暖かく拓けたものになりますように。