上野千鶴子先生の出版記念講演会

予定がつかずダメだと諦めていたのですが、
急に時間が取れたので
社会学者、上野千鶴子氏の
『おひとりさまの老後』という新刊の
出版記念講演会に行ってきました。

「出版記念講演会」なので
行儀良く並んでサインも頂戴してきました。

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一般読者向けの上野先生の講演会は
笑いありシリアスありの緩急が楽しく、
まあ、正直・・・
授業よりずっと「気軽に」楽しめるわけでして・・・

ええ。聞きにいってよかったです。

以下、くましんさんのmixiより抜粋です。
抜粋の後にウラ話あります(?!)。

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上野氏とは、
8年前の学生時分に初めて出会いました。
当時上野研が、
メキシコから車いすの留学生を受け容れるにあたり、
障害を持った学生の立場から、
具体的なニーズなどのアドバイスを
させていただいたのがきっかけです。

「生」と「自由」を肯定する
上野氏の実践的な思想・活動との出会いは、
障害者運動との出会いと共に、
今日まで自分を励まし続けてくれるものです。

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講演の内容から、
自分が特に強く感受したメッセージは
3つでした。

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1.「役に立たなければ、生きていてはいかんのかい?」

上野氏は、
昨今主流となりつつある、
『ネオリベ』、
すなわち
経済的な生産性なるもので人間の価値をはかろう
という考え方を断固否定します。

例えば、
ネオリベ経済学の巣窟である慶応大のある学者が、
介護問題を考えるシンポジウムにおいて、
公衆の面前で、
『私の理想の死に方は、ゴルフ場でポックリ逝くことです』
と発言したそうです。

老いという問題を考えましょうという場で、
老いを経験することなく死ねたらいいなあという願望を
吐露してしまったわけです。

老いや病気や障害など、
経済的な生産性を失うことを、
死ぬことよりもおそれるのが、
ネオリベの思想なのでしょう。

人間ならば避けることのできない問題すら否認した、
こういう人々に、
介護問題なんて任せていられません。

このように、
人類が永年の闘いの後に勝ち取った
『生存権』すら
忘却したような言説がまかり通っているのが
今の日本なんですね。
ほんま怖いわ。

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2.「学問は、私利私欲のためにある。
自分自身の生にとって、
もっともプライオリティーの高い問題を
テーマにするのがいい。」」

上野氏は、初めて女性学と出会ったとき、

『ワイのことを研究してもええんや』

と、目から鱗が落ちる思いをなさったそうです。
以来、上野氏は、
徹底してご自身の生における困難に根ざした、
研究を貫いてこられました。

私利私欲というのはそういう意味です。
決して出世のためとかいう意味ではありません。

上野氏は、長らく『女性学年報』という、
在野の学術誌を編集されてきました。

厳しい現実を生きる、
女性当事者の声を大切にしながら、
それをアカデミズムの水準にまで育て上げた、
偉大な『当事者研究者』だといえます。

自分も、

『そろそろ、障害当事者という立場で、
広く世の中に向けて、もの申したい!』

という思いが、最近沸々とわいてきており、
昨年の十一月以来、同じ志を持つ友人と共に
上野氏のところに何度か相談に行きました。

アイデアの走り書きのような
レジュメを元にプレゼンしたり、
どんな表現手段があるのか、したいのか、
3時間くらいじっくり話を
聞いてくださったりしました。

そんな中で、
この『女性学年報』の話を聞かせてくださり、

「在野でもできるのよ!」

と励まされました。

(中略)

講演会の最後に、
「私たち、こんなことはじめました」
と上野氏に報告したいと思い、
学会発表用の原稿と、名刺を手渡しました。

「へえ、こういうの始めたんだ。
まあ、名乗ったもん勝ちよね。」

とのコメントを頂きました。

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3.「私は、障害者運動に救われました。」

上野氏は数年前、
障害者の自立生活運動を長年にわたって
リードしてきた中西氏という方と共著で、

『当事者主権』

という本を書かれました。

1で述べたようなネオリベに対抗する思想として、
障害者運動でうたわれてきた言説は、
上野氏に大きな影響を与えたそうです。
『自立』とは、全部自分でするとか、
人並みにできるようになるという意味ではなく、

「自分が何者か、何をしたいかは、自分で決める」

という意味なのだ、
というのが自立生活運動の思想です。

そこではまた、生産性の対価として、
生きることが『許される』のではなく、
生まれながらにして無条件に備わった権利としての
主体的な生を主張してきました。

フェミニズムが障害者運動と手を組んだことは、
私にとって個人的な意味でも大きな事件でした。
それは、私と、私の母親との間にあった確執の歴史を、
大きな視野から捉えなおさせてくれました。

8年前、私は上野氏に次のように言ったことがあります。

『私の気持ちを無視して、
歩けるようになってほしい、
普通の子に近づいてほしいと、
過酷なリハビリを強いたのは
母のエゴだったと思います。』

それに対して、上野氏はこう答えました。

『わかってないなあ。親なんて、
みんなエゴイストなのよ』

当時、その言葉の真意は掴み損ねていたのですが、
その後女性学を少しずつかじるようになって、

そして、
女性学の理論が、弱さを肯定する、
したがって
私自身の生を肯定するものだと知るようになるにつれて、

徐々に母への眼差しが変わっていったように思います。

フェミニズムでは、障害者や子供など、
人の手を量的にたくさん借りなければ生きていけない人たち
=「一次的依存者」のケア労働が、
主に女性によって担われているために、
女性自身が労働市場から排除され、
男性の経済的助けなしには生きていけない
「二次的依存者」になってしまうというからくりを
告発してきました。

つまりは、私も、私の母も、
弱さを否認し、
弱いもののケアや生を軽視する意識構造の中で
虐げられてきたわけです。

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私にとって、上野千鶴子との出会いは、重要でした。

かつて、結婚、家父長制、家事、セックスなどを
自身の切実な問題としてテーマにしてきた上野氏は、
年を重ねて、今、老いをテーマにされています。

そして、その転換点におそらく、
障害者運動との出会いがありました。
一貫して、ご自分の問題と徹底的に対峙してきた学者です。

上野氏は、講演の最後に、次のように纏められました。

「私はまだ、要介護者ではありません。
もうすぐやってくるその日までに、
少しでも良い制度が整うことを願っている段階です。

だから、老後問題の切り口も、現場から少し遠い制度論に
偏っており、現場の方からはそれを批判されることになります。
『あなたは、老人一人の生活を支えたことがあるのか』
とね。

私が要介護状態の寝たきり老人となったときには、
私の研究も、より現場に近い当事者研究になるでしょう。
そう思えば、寝たきりになるのも楽しみな気がします」

それを聞いて、私は、あらためて、
彼女の思想を刻み込んで生きていきたいと思いました。

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以上、抜粋おわり

<ウラ話1>

講演会後の質疑応答が始まった際、
誰もが躊躇して会場がシーンとなったのですが、

上野先生が
「今日は友人が来ていますので、
彼に一言、お願いします。」

と、くましんさんを指名しました。

くましんさんのことだから
なんか考えてるんだろうな~と思って
隣を見たら、
マイクを受け取る手がややためらっている。

表情が
「やばいぜ、おい。」
って言ってる。

「おや?」
と思ってコメントを聞いていると
なんだかくましんさんにしちゃあ、
無難な感じ。

後で、
「頭、まっしろだった。
今度の講演会からは、すっごい意識して
コメントを準備するようになってしまう。」
とのこと。

先生はくましんさんのコメントの後、
「当事者主権」の本を取り出され、
障害者運動とご自分との関係のお話につなげていかれたので、
もともとそのような話の流れをしようという
心づもりをお持ちの上で
くましんさんに話をふったのかもしれません。

だとすれば、

「先生が要介護者となられた後の、
当事者としてのご研究を楽しみにしております。」

というくましんさんのコメントは
「当事者」というキーワードも提示しているし、
頭まっしろとはいえ、
けっこういい線だったのでは?
と思いました。

<ウラ話2>

次は挙手で若い女性が質問しました。
彼女が自己紹介として、
「私は、結婚も出産もしないで
生きていこうと決めているのですが」
と言った時に、会場が笑いと共にざわめきました。

先生も
「まだお若いのにそこまで決めなくても。
酒井順子さんもまだ産むおつもりがあるみたいですし。」
と会場の雰囲気をフォローしました。

若い女性は
「20歳まではそう思えていましたが、
25過ぎるとそうは思えなくなったんです。」
と話して本題に進めようとしましたが、
会場には
「若いのに気が早い。」
という雰囲気が残りました。

しかし、
それは納得がいかないと思いました。

当世の女25歳。
「仕事」か「結婚・出産」かを選ばなくちゃ前に進めない。
どっちもなんか無理。
でもやっとの覚悟でどっちかを選べば
もう片方の有無を問われる。
そんなまわりからの重圧がはじまる年頃。

どっちも手に入れた同期がいれば
引き合いに出して比べる親。
引き合いに出されなくったって
十分引け目に感じてるっちゅーねん。

そんな人だっているんじゃないの?

(もっとも社会学的には
「そんな悩みなんて、くだらない」
とバッサリ斬られるわけですが、
そのくだらない渦にどうしようもなく
巻き込まれている人は
少なくないのではないかと思うわけです。)

確かに、その年を過ぎてみれば、
どんな道を選んだとしても
自ずと自分らしい結果がついてくることを知り、
「早まらなくても、恐れなくても大丈夫よ。」
ってなもんだが、
その時、岐路に立たされたその時点、その瞬間での
切羽詰った思いを、

既にそんな経験が「遠い日の思ひ出」となった、
もしくは
そんな経験をせずに済む時代を過ごした、
もしくは
社会学的な視点をお持ちで一刀両断できる、
その場にいたお姉さま方とは違って、
私はまだ忘れていない。

生き方の分裂期を過ぎてまたひとつに収束する世代が、
これから分裂期に突入する世代を
「青い」と笑ったのだとしたら
それは頂けない。

先生は
「独身の30代の女性が手に取れるように」
さわやかな色使いの表紙にしたと
仰っていた。

ならば、
本のターゲット層に属するその若い彼女の
その時、その瞬間でのひとつの覚悟を
会場は笑えるはずがなかったのではないだろうか・・・。

そんな疑問が残りました。

<感想>

障害学会の発表原稿も受け取って頂けたし、
名刺もお渡しできたし、
お話を伺えて、お話もできて、嬉しかったです。

でも・・・はあ。緊張した!
(「油断していると刺される!」という緊張感が・・・?!)

先生の徹底した
弱者を守る思想やネオリベ批判を貫く精神に
及ばずながらついていきたいと
改めて思わされました。