障害学会第4回大会

2007年9月16日、17日と
障害学会の第4回大会に参加してきました。

おかげさまで
私達の発表は一応成功だったそうです。
くましんさんの話によると、
「聴衆から良くも悪くもはっきりとした反応がもらえる」
「認知される」
ということが成功と言えるようです。

プレ・プレゼンにお付き合い下さった皆様、
本当にありがとうございました。

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学会は全然、堅苦しくなくて
スーツ姿の人もほとんどいませんでいした。
前日に、
「どうしよう。
 スーツなんて着て長距離移動して発表なんてしたら、
 体調管理できなくなって大変なことになる。
 仕方ない。そこに障害があるのに
 仮にも障害学会で無理してどうする。
 平服にしよう。」
と悩んだのは杞憂でした。

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雑然とした様子を見て
「手作り感、満載ですね。学生の時みたい。」
と私が言うと、
「うん、オリセン*っぽいね。」
とくましんさんが言いました。
あまりに的確な一言だったので
「そうそう!!
 あ~そうか。くましんさんも学生時代、
 当然、そういう活動なさっていたんですよね。」
と、私は大ウケしました。

(*オリセン
・・・東京代々木にある
国立オリンピック記念青少年総合センター
東京周辺の学生(に限らないけど)が
活動における大規模な合宿や大会をする際に、
真っ先に候補にあがり、よく利用する施設。)

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昼食時や夜の懇親会では、
今回、この学会を紹介して下さった
出版社の編集の方が、
たくさんの方々と引き合わせて下さいました。
私たちにとっては
著書だけで存じ上げている
「ギョーカイ有名人」と
次々にお話するチャンスをいただくという
ありがたくて貴重な経験でした。

私達の発表は、
こうやってその世界の人々とつながる際に、
「自分達はこんなことに興味を持ってる者です。」
と自己紹介するための
名刺代わりだったようです。

発表内容をたたき台に
発表の中では言い切れない
お互いの思想や方向性を交わすことができて
充実した時間を過ごすことができました。

本を読むだけでなく、
実際にお会いしてみて知ったのは、
障害学会というくくりで
専門家、研究者、当事者、編集者と
さまざまな人が集まっているけれど、
共通するのは当然、
障害について関心があり、
学問的な視点で考えたい人たちなので、
寄ればそこに議論が発生するということです。

私には決してわからない
雰囲気だけのふわふわした楽しげなつながりではなくて、
話すテーマがはっきりした上での
楽しげなつながりが成立している。

これが私には嬉しかったです。
「楽しい感じ」は
やっぱりあまり感じないので
自信がなくて入れないけれども、
話している内容の意味はわかるし、
相手の考えもはっきり言ってくれるから、
よくわかる。
その上で1対1のゆっくりなやりとりなら
自分にもできる。

学問の世界にこのような人々がいるのなら
自分の居場所はやはり
こっちの方角にあるんじゃないかなあ
という気がしました。

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とはいえ
もちろん懇親会の後は
帰りの電車の中でもう
気持ち悪くてパニックが起きました。

翌朝は自分にだけでなく
くましんさんにも噛み付いたために

「今日の学会はお休みします。
 人を傷つけてはいけません。
 具合が悪いのに
 無理して学会に行くのは悪いことです。」
と怒られました。

「行くことになっているのに行かないのは
 悪いことです。今日は行きます。」
と抵抗しても、聞いてもらえなかったのですが、

「具合が悪くても、昨日会った人たちと
 少しでもつながっていたいです。」
と話したら

「あ~。それならわかります。」
とくましんさんは言いました。
それで2日目も参加することになりました。

ホールの中では人目がたくさんあって話を聞けないので
誰もいない外の廊下にある椅子に座って、
開け放たれたドアからパソコン要約筆記通訳の画面を
見ながら、発表を聞きました。
ロビーなどで人が多いときは
レースのカーディガンを頭からかぶって
人から自分が見えないようにしました。

本当は「変な人と思われたくないな」と思ったのですが、
仮にも障害学会なんだから
いっそ思いっきりやりたい放題で、
変な人になることにこそ意義があるのではないか、
とくましんさんと話し、
開き直ってカーディガンをかぶりました。

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懇親会など集団で話している輪の中にいる時は、
「もしかして誰かから話しかけられるかもしれない。」
という覚悟がちょっとだけ私の中にあるのでしょうね。
にもかかわらず、
私は人からは話しかけられないので
「やっぱり自分は見えていないんだな。」
「私はここにはいないのかな。」
と思って
不安になって怖くなるのでしょう。
ここには自分が見えていないことへの怖さがあります。

その一方で、
「もう無理、あたまいっぱい。外界の処理ができない。」
と思っているときには、
話しかけられることも
他者の視線がたくさんあることも怖い。
このときは自分が見えていることが怖い。
だから籠もりたくなるわけです。

人とはつながりたいのにつながりたくない。
こんなジレンマはいつも私の中にあります。

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学会が終わって最後、
出版社の編集の方が
「学会も終わったので、ではまた、
 原稿作成に取り組んでくださいね。」
と締めの一言を下さいました。

ああ、よかった。
次のやることがあれば
「イベントが終わった鬱」
に、どか~んと入らなくて済みます。

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